自発でなければただのお荷物。
みなさんこんにちは。ひですけです。
人生、やるかやらないか?なんてよく言いますけど、
そこについてはずっと違和感があって、
違うと思うんですよね。
やりたいと思えるか思えないかじゃないかなと。
自分の意志で自発的に歩かない人は最終的にお荷物でしかなくなるのよ。
トップダウンでやらせたとしても、その人自身は成長しないし、組織もよくはならない。
それって誰得なの?って話です。
混ぜるな危険
なので方法としては
やりたい人を募ってやること
やりたくない人は反対意見で足をひっぱるので混ぜないこと。
だと思っています。
日本人って最小公倍数的に誰も置いていかない的な発想で言いますけど、
それは違うと思っていて玉石混合でやるからモノゴト進まないのだろうと思います。
なので、最初に合理的な形を作る。
次にインフルエンサーに試して広めてもらう。
最初は嫌がっていた人たちも
みんなやってるうちに釣られて始める。
この流れだともうのです。
ポイントとしては「合理的な形」を作れるか?
が肝だと思います。
たとえばマイナンバーカード。
使い道がないものをなんぼポイントつけたところで、
ポイント欲しさに作っても結局使い道がなければ、
賢い人は作りません。
なので今回の河野大臣の免許証と一緒にする案は
とても「合理的な形」だと思うんですよね。
最初から否応なくやらせてもそれは意味のないことかなと思っています。
確かに嫌なことでも後々身になることはありますけど、
成長の度合いがまるで違うし、
世の中の為にはなりません。
失敗は成功の母である
それから失敗しても責めないこと。
とかく日本の社会は失敗に対してシビアです。
もっと寛容になればイノベーションも起きるだろうなと思いますけどね。
どんなことでもトライアンドエラーを繰り返しながら形になていく。
そこで失敗は断罪なんてことになると、失敗を恐れて誰も何もしなくなる。
失敗すれば批判は起きるかもしれませんが、そこを抜けなければいいものは何もできない。
生暖かい目で見るってことも必要じゃないかな?と思います。
自己肯定感と承認欲求。失敗を許せないのは他人と比べるから。
自己肯定感が強い人は他人からどう思われようが気にしません。
逆に他人から認められたいという承認欲求が強い人は他人からどう思われているのか気になって仕方ありません。
裏を返せば、承認欲求が強いということは、自分に自信がないのです。
自分にできる限りのことを精一杯やっていると、もうこれ以上は無理!と思えますし、これでダメなら仕方ない!という気持ちになってくるものです。
まさに『人智を尽くして天命を待つ』といったところでしょうか。
逆を言えば承認欲求が強いということは、まだ余裕があるということですのでもっと自分を追い込めばいいんじゃないかなと。
もちろん人には個人差があるので、一概には言えませんけど、
できることを精一杯やるということは誰に対しても必要なことじゃないかなと思います。
私は病気(脳卒中)して左半身に麻痺が残り、できることもかなり減ってしまいましたけど、このスタンスを忘れなかったので、残りの人生できることを精一杯やろうと思っています。
根拠のない楽観視ほど人を絶望させる。
何とかなるさといえるのは、やることをやっているからであり、
何にもしない人ほど根拠もなく大丈夫と軽々しく思って何ともならずに絶望する。
常に最悪を想定して、これでダメならこうしようと二の手、三の手を想定しているからこそ
絶望せずに済むだけの話。
人生甘く考えてはいけません。
編集後記
久々の更新でなんかとりとめのない記事になりましたけど、
ここ数日考えていたことをアウトプットしてみました。
あまりにも「かまってちゃん」だと人生疲れますし、生きるのがイヤになってしまいます。
自分なりの楽しみをもって自分らしく生きることじゃないかなと。

